【無職に転生 ~ 就職するまで毎日ブログ出す⑨】【書籍】反応しない練習
はじめに
こんにちは、大ちゃんの駆け出し技術ブログです。
タイトルにあるとおり【無職に転生 ~ 就職するまで毎日ブログ出す】というチャレンジをしています!!!!昨日までは就活するまで本気出すでしたが、これだとまるで就活後は頑張らないのかと思われてしまいそうで、、、大人気アニメのタイトルのまるパクリチャレンジです。
RailsやらRubyやらSQLやらその他Webの知識やらが色々と抜け落ちているのを感じており、知識の定着のためにもアウトプットする機会を増やすためです。加えて、退職して文字通り無職に転生しましてプロニートになり、毎日時間に余裕ができたので引き締めるためにも毎日投稿を思い至りました!
【投稿内容】
- SQLの難しい処理 (副問合せ、JOINとか複雑な処理が書けない)
- Rails全般 (純粋に必要な知識が多すぎる、網羅的な理解が足りない)
- Rubyのあまり使わないメソッドや記述方法 (あまり重要ではないけど特に)
- Web知識全般 (クッキーやら、セッションやらなんとなくで理解しているものの自分の言葉で説明できない)
- 書籍 (スタートアップ企業に勤めるので、自分が会社に与える影響やパフォーマンスを高めるためビジネス書を読んでいきます。)
本日の内容
本日は現役の草薙龍瞬さんという現役の僧侶の方が書かれた「反応しない練習」と言う本をご紹介します。この本を一言で表すと、「誰もが抱えるモヤモヤをはらすための本」です。内容は仏教が軸になっていますが、合理的で実践的な内容になっているので、布教活動とは思わず読んで下さると嬉しいです。
満員電車 = イライラ?
まずこの本の主題である「反応」について説明していきます。この本では反応とは無駄な感情の動きと言及しています。少し言い過ぎかもしれませんが、無駄な反応が多すぎるというのが主張されています。無駄な反応の一例として満員電車が挙げられます。満員電車は非常にイライラすると思います。私も埼京線という非常に混む電車に乗っているので、早く他の人降りないかなとか目の前の人早く立たないかなとかイライラしながら考えます。
しかし、ここで考え見て欲しいのが「満員電車に乗っている人が全てイライラしているのか?」ということです。確かにイライラしている人が多いかもしれませんが、イライラしていない人は確かにいます。満員電車という同じ現象にいるにもかかわらず、立ちながら楽しそうに音楽を聴いている人もいると思います。この違いは満員電車という現象に対して心が反応していいるかいないかによって生まれます。現象に心が反応しているから怒りやイライラという無駄な特にならない感情が生まれているということです。
現代人は無駄な反応が多い
満員電車の事象はほんの一例で本来人はたくさんの理由でイライラや怒りなどの無駄な心の反応を生み出しています。例えば、カッとなって口喧嘩に発展したり、他人と比べて勝手に落ち込むなどです。このような反応は誰か得をするのでしょうかと言われれば誰も得しませんよね。しかし、このような無駄な反応から生まれた感情は毎日のように生み出され、それにより悩みやトラブルに発展したりします。
心が無駄に反応する原因
何故こんなにも人は無駄に反応してしまうのでしょうか。その答えとして仏教では「求める心が苦しみをもたらしている」と述べられています。求める心とは言い換えれば欲求です。睡眠欲、食欲とかがそれに当てはまります。しかし、睡眠欲や食欲では私たちは滅多にイライラしません。そりゃ元大社長が異世界に転生して貧乏社畜になったらそりゃ食欲やらは満たせずにイライラするかもしれませんが、日本人のほとんどは美味しいご飯を食べれているし、睡眠も取れている人も多いと思います(ブラック企業じゃなければ)。つまり、睡眠欲や食欲に関して言えば、欲求を満たすことをコントロールできるのです。
では「承認欲求」はどうでしょうか。こちらも求める心です。誰かに認められたい、承認されたいという思いは本当に誰しもが少なからず持っているものです。しかし、この欲求は自分でコントロールして満たせるものではありません。それは他人があなたを認めることで満たせる欲求であるからです。これが睡眠欲は食欲との大きな違いで、あなた自身でこの欲を満たすことができません。コントロールできない他人から承認してもらう必要があります。そのため、承認されないときに満たされず、結果心が反応してイライラしてしまうのです。この承認欲求が非常に厄介この上ないのです。
承認欲求が生む3つの心の状態
承認欲求によって3つの無駄な心の状態が生まれます。
① 貪欲
承認欲求から多くの貪欲が生まれます。人より上に立ちたいがためにお金持ちになることや、自分のステータスを上げるためにすごくステータスの高い彼女彼氏と付き合うとかです。このような状態は過剰な欲求に駆られており、非常によく深くそれを叶えるために行動しています。お金持ちになるために、付き合うために欲に駆られながら奔走している状態です。
② 怒り
承認欲求が満たされないことで多くの怒りが生じます。他人からの否定などから認められないことにイライラし、かッとなってしまっている状態です。
③ 妄想
そして3番目の心の状態の「妄想」です。これはぼんやりと物事を考えている状態です。これは人間なのだから誰しもがやっていることです。しかし、仏教では1番無駄な心の反応の状態が妄想している状態と述べています。
妄想は大きな勘違いを生む
ああなれたらいい、こうなれたらいいとかそういった物思いに耽ってる状態も妄想で、これはいい妄想かもしれません。しかし、妄想の中には度外きすぎるいわゆる勘違いの妄想も含まれます。
例えば、あなたのミスで上司からカンカンに怒られたとします。その時、あなたの心の反応としては「やってしまった。次から頑張ろう。気をつけよう。」といった前向きな考えになっているかもしれません。しかし、中には「自分はミスをしてしまうダメな人間なんだ、、、。」のような考えが生まれ、その考えから「同僚の人たちからもダメ人間と思われたんだ、、。」といった妄想を膨らませてしまう人もいます。このような大きな勘違いを生み出してしまうのが妄想の恐ろしいことです。
余談ですが、自分も妄想が膨らみ病んでしまったことがあります。大学4年生の頃、同じサークルの好きだった後輩の女の子に告白しまして見事に撃沈したことがあります。当時の自分はサークルのことが非常に好きだったのでとても行きづらくなってしまいました。そして、サークルの人たちと会わなくなったことから既にサークルで自分が振られたという情報が流れてしまい、自分はどう思われているんだろうかとかいろいろ考えてしまい、どんどんサークルの活動に行くのが怖くなっていきました。
でもこのような妄想って誰でもしたことがあるんだと思います。何かに失敗してしまった時、トラウマになる体験をした時、不安が募り色々と妄想してしまい勘違いを生み出す。そして病んでしまう。病んでしまうまではわかりませんが、大きな勘違いをした妄想を経験していない人は少ないでしょう。
判断 = 1版無駄な反応
私たちがここまで心の反応を生み出している根本的な要因はなんなのでしょうか。何故ここまで妄想を膨らませて自分を苦しめるのか。
それは「判断」があるからです。
判断とは何が正しくて何が違うのかを自分の中で決めることです。誰しもが行うことだと思うのですが、判断による心の反応は本当に無駄だと本では説明されています。
例えば、車内で2つの席を横取りする人がいれば、「なんて自己中な人だ!!」と怒ったり、YouTubeのアンチコメントを見て投稿者が落胆したりするというのは全て判断から生まれてくる感情です。
何故判断するのか?
普段何気なく判断しているけど判断する理由ってなんなんでしょうか。それには以下の2点が挙げられます。
- わかった気になり、気持ち良さを得られる
- 同意を得ることで承認欲求を満たせるから
まずわかった気になれるので気持ち良さが得られることが挙げられます。自分の理解が正しいということを判断することは、自分が間違っていないということを論理づけます。そのため自分は間違っていない、正義であるということで勝手に気持ち良くなるんですね。自分で判断することでどこか安心感を求めているのです。
また、同意を得ることで承認欲求を満たせるからということが挙げられます。誰かに自分が判断したことに対して同意されるときもちいですよね。例えば、彼氏への不平不満を友達の女子に話して、友達から「そうだね、あなたの言い分はもっともだ」と言われると、自分が正しいということになり承認欲求が満たされます。
判断は猛毒
判断をするのは基本的に誰でもしますし、働いている上で判断をすることは避けられないでしょう。しかし、無駄な判断をしていることが多いため、自分のことを卑下したり、相手に怒りを覚えたりします。そして、厄介なことに一度自分で判断したことは易々とは変わりません。自分はダメだと思えばその判断はしばらく変わりませんし、相手がダメだと思えばその判断は変わらず絶交まで発展してしまうかもしれません。
苦しみから逃れる方法
承認欲求による妄想や無駄な判断をすることで苦しみ疲れることはわかりました。では、どのようにしてその苦しみから逃れるのでしょうか?
まず以下の2点があげられます。
- 正しさは不要であると理解すること
正しさは不要だと理解します。そんなものいりません。というか正しさは人それぞれなので本当に正しいのはどっちと判断すること自体が不毛です。人それぞれ道徳は異なります。
- 判断すること=非合理
上述したように判断することでいいことはほっとんどありません。悪口や世間に対する意見だったりは何が正しいのかなんてどうせ答えは出ないし不毛だと思います。
1番有効な苦しみから逃れる方法
とは言ったものの上述したものは具体的じゃありません。結局何をすれば苦しみから逃れることができるのでしょうか。それは、反応した時に「あ、自分反応してるな」とできるだけ早く気づくことです。怒りの感情があれば「自分怒っているんだ」と気づくこと、頭の中で妄想していたらその妄想に気づくことです。
心の反応に特効薬はない
「え、気づくだけ?」
気づくことだけで本当に効果があるのでしょうか。実はこの気づきは1番効果的ですが、それでも効果がでるかわからないと言うのが答えです。
そもそもすぐに効く実践方法があれば誰もうつ病にはなりません。とっくにその方法は多くの人に知れ渡り、精神科医も必要ない世の中になっています。
つまり何が言いたいのかというと、心の反応を治療できるのは己自身だけということです。したがって、自分の気づきがなければ心の反応は治療できません。
"気づき"は有効
気づくだけで果たして効果があるのか。本でははっきりと「ある」と答えています。
というのも心が無駄に反応している状態に気づくことはそもそもみんな普段していません。彼女にふられてクヨクヨすることや怒りに身を任せている時、「あ、自分今無駄な反応をしている」とは思わないですよね。つまり、気づくことを普段実践していないのです。
そして気づくことは冷静に戻ることを意味します。気づくことで初めて人は無駄な反応をやめるきっかけを作れます。つまり、気づくことによって無駄な反応をやめる実践ができるのです。
終わりに
気づくことは普段やっていないためほとんどの人が練習していません。なので気づくことから練習していきます。そして、その気づきを積み重ねればそれはどんどんと無駄な反応を抑える練習になります。そしてそれが癖になれば無駄な反応はだいぶ抑えられると思いませんか?是非本を読んでみて気づく練習をしてみてください。